Polynesian (新天地)

ハワイ諸島に最初に移り住んだのは、南太平洋の非常に優れた航海術を持つポリネシア人でした。
西暦600年から750年頃にかけてマーケサス諸島から、そして1100年頃にはソサエティ諸島タヒチあたりから移り住んで来たと言われています。

ポリネシアの人々は、星をナビゲーションにして航海をする知識を持ち、
新天地を探すために食料や植物、家畜などを船に積んで航海に出たと言われています。
彼等の優れた航海術は、大海のなかに点在するハワイ諸島を発見し、
定住した後も故郷と新定住地の間を幾度となく航海するほど発達していたのです。

ポリネシア人たちは故郷の文化や政治を基本としながらも、
新しい居住地となったハワイの環境に順応し、独自の文化を築いていきました。
各島はいくつかの領地に分けられ、それぞれアリイ(酋長)によって統治されました。
アリイは政治的には一番高い位にいましたが、酋長議会や高僧の指導を受けることもありました。

1700年代の終りまで、ハワイ諸島の住人にとって異国人とは近隣の太平洋諸島の人々のことだけでした。
英国人キャプテン・ジェームス・クックが北西航路を探索する航海中に偶然ハワイ諸島を発見し、
翌年1778年にハワイ島にやって来ました。その際、彼の船が近づいたのが、
「神の道」という名を持つケアラケクア湾であったため、ハワイの人々は彼を神の化身だと思いこみ、
最高のもてなしで出迎えたのです。しかし時が経つにつれて住民とキャプテン・クック達の間には
いさかい増え、ついに1779年にケアラケクア湾において流血の争いへと発展しました。
多数が重傷を負い、クックも殺害されました。生き残った船員たちはハワイ諸島を去りました。
が、この出来事をきっかけに、天然痘、はしか、百日咳などの新しい伝染病が外から持ち込まれ、
ハワイの人々に免疫がなかったということもあって多くの人が命を落とすことになりました。
また、この戦いでハワイの人々は大砲や鉄砲の力を目のあたりにし、その存在を知ったことが
後のハワイの歴史に大きな変革をもたらすことになりました。